書く苦しさ

ちいさな本の人気コーナーが終わる。このことはつまり、私が筆者であるフリーライター氏を「切った」ということになる。大小を問わず、この業界にはこんな話、どこにでも転がっているのはご存じのとおり。そして次の書き手が、予備軍という群衆のなかから半歩だけ前へ出てはまた、群衆の波にかき消されてゆく。だから、綿矢りさなんかは、宇多田ヒカル級の「Specialな人」なのだ。
 もとい、フリーライター氏の書く文章はとっても気楽な感じで、読み手からすれば「こんなものでお金もらえるなんていいわねぇ、あたしにもできそうだわ!」なんて勘違いをしたかもしれない。コラム自体が他愛ない日常生活のスケッチだから、それもやむなしだろう。そこまで身近に思わせたことはある種、このコラムは成功したということだろう。が、そこは、勘違いだけにとどめておかないとえらい赤恥をかくこととなる。文筆稼業に生きるのと素人さんがちょこちょこっとブログ程度の文章を投稿するのではえらい違い。「伝えたいこと」を、きちんと表現して「伝え」続けるということは、とてつもなく難しいことなのだ。文の巧拙は比較的目に見えやすいけれど(まぁ、好みというものもありますが)この、伝えたいテーマというのは、なかなか持ち続けることが難しい。そもそも、一般ウケを狙うのか、マニアックな熱烈ファンを組織していくのか…そこでも書き方は変わってくる。そうやって決めた伝えたいテーマと、書き方、表現方法を、筆を置くその日まで脈々と貫きとおしていかねばならないのだ。それだけでも「書く苦しさ」の一端を想像できようというものだ。しかも、ひとは飽きやすい。時折新しい風をも意識しながら、一本書き終えれば次、そしてまた次と日々過ぎてゆくのだ(これが少しずつ墜ちていっているなんてこともままある)。誰も見ていないこのブログひとつ書くのだって、一貫したテーマを設定できずにいる私なんぞには到底理解しうるものではない。