やたらデブった2004年・夏

この夏、どこへも行かなかった。
といってその分食べまくったわけではない。朝食抜き、あるいはヨーグルトのみ頂くことにしていたくらい、例年よりむしろ低カロリーライフだったはず。なのに、なのに。なんというのでしょうか、食べたものが即、肉になっている!? まさにそんな感じなのです。そんなお年頃★とあきらめられるほど、私は幸福ではないので、どうも鬱です。ウエスト周りはぐんぐんきつくなり、去年はけたジーンズがやばいという状況。肉載ってるぜ、体側部。見たことなかったセルライトってやつもいまや観測可能…。
 確かにマイクロダイエットを夏前からやめたけれど、それとて、真面目に取り組んでいたわけではなかったから、「リバウンド」という言葉を口にするのもおこがましい。もともと減ってないところへどどーーんとボーナス!という保険のTVーCFくらいプラスになってるんだから、もはやどこへ出しても恥ずかしい、立派なデブ。というか、それまでダイエットなんて気にしたことがなかったのだけど、あれは絶対によくないですよ。負け惜しみにしか聞こえないけれど、そうではなくて、事実ダイエットに取り組み始めてから「太らない体質」ではなくなったからね。「太らない体質」に戻ることさえできなくなってしまったからね〜。日本女性のなかにはそうやって「太りにくい体質」を若いうちに「いざという時のために貯め込む体質」に自ら変えてしまう人が多いのでしょうね。なにか、歪んだ現代社会の「価値観」のひとつのように思えてきました。もとい、人間の体にはかつての寒冷な気候を生き残った際に刻み込まれた「飢餓遺伝子」というのがあるといいますが、それは本当だと思う。アジア人として生まれたからにはちびデブ寸胴はしかたないと諦めるべきか?
 私の場合、デブると怖いのが、一気に生きる気力が失われるということ。もうね、イヤになってしまうんですよ! こんなデブさらしてんのが。もともと醜形恐怖症の気があるので、鏡は見たくない、ガラスに映る我が身を見てしまっては落ち込んでいく、というまさにスパイラル。電車での帰り道、向かいのガラスに映った自分についてイヤだ、イヤだと考え続けた挙げ句、踏切待ちなんて時は、ふっと悪い考えがよぎる瞬間があります。そんな時、同時に十代の頃から精神的に何ら成長していないのか、と思いさらに鬱へと深入りしていくのだけれど。まぁ、無駄に生きてきた時間と社会経験が「そんなことしたら、電車が遅れてたくさんの人が迷惑する」と思いとどまるわけです。本来ならば、「まだまだいい男と出会えるかも! 楽しいこともあるし、行ってみたいところもあるじゃないか」と思えれば幸せなんですけれど。
 とにもかくにも、このデブ進行形を早く止めねば、生命の存続も危ういわけです。生き難いし。せっかく生きなきゃいけないのなら、楽しく、美しく、のんきに生きたいものではありませんか! そこで、まずは自分が普通に外を歩けるカラダを手に入れたいと思います。こんなこと書くと、また、ダイエット系のスパムなんかがわんさか来そうで怖いけど。あんたらの世話にはならぬ! 策はあるのだ!
PS.本来デブ猫の写真をアップすべきですが、手元にないので残念