徒然なる思い〜ちょい愚痴含み

最近やたらと目が疲れている。行き帰りの電車の中でイディオム本やら、TOEIC問題本やらを見るのはちょっと敬遠気味。とはいえ、丸一日、英語を聴かないのはちょっと不安なので、頼みの綱はiPodだ。
 朗読CDを原著を見ずに(文字を見ずに)聴いて意味をつかみ、読破しようと試みているところだ。6枚あるCDのうちいま、2枚目が終わったところ。といっても、1枚をだいたい3回ほど聴いているので、なかなか話は前へ進んではいない。ヒラリーさんのハスキーボイスに救われているかもしれないかな。CDのナンバーが進むたびに掴み切れていないところは増えていくけれど、それはそれでとにかく進もうと思う。すべてを聴き終わってから、ペーパーバックを購入しようと思う。
 話は変わるけれど、最近、どうも限界を感じずにはいられない。ちいさな本の世界では、やはり編集力よりなにより営業力。おもしろい企画をたてても、賛同してくれるところがなければ、絵に描いたモチ。両輪があってこそ、生き残ることができるのだと思うと、なにやら限界点が見えてきた感じ。こういう後ろ向きスパイラルはやばいよね。仕事柄、こんな心理状態は最低だと、わかっているものの。
 どうやって気分を変えていくのか? そんな実況をこのブログでやれたらいいかもしれないけれど、五月雨更新じゃぁ、ちょいと無理。おそらく、次回書く時には、前を向いているのかもしれないね。
 そう、今日話したふたつのことは、実は微妙にリンクしているんだ。
それは中途半端なポジションだということ。初級でもなく、上級者でもない。趣味でもなくビッグなビジネスでもない。両極端ではたくさんの道があるけれど、中級だったり零細ながらも会社だったりというポジションには、意外と選択肢は少ない。ここを突き抜けることがまずすべきことなのだけれど、そこで人間は迷ってしまうものなんだね。
 だけど、十代のころ、眠れなくなるくらいの不安やいらだちを抱えていたことは、今思えば、「楽しさ」の源泉だったし、そういうハードルがあったからこそ、なにげないことでも、鮮明に記憶に残っているんだよね。
 中途半端を精一杯苦しむことが、ちいさな本の将来にも、自分自身の将来にも、大きな糧となることを信じるしかないのだろうね。